こどもの“いい顔”が見たいから
- society4japn
- 6月17日
- 読了時間: 10分
旭川荘療育・医療センター 看護部
教育師長 小児看護専門看護師 仁宮真紀

皆さま、はじめまして。小児看護専門看護師の仁宮と申します。コラムを担当させて頂ける機会を与えて頂きましたことに感謝しております。私の自己紹介を兼ねながら、APNを目指したプロセスをご紹介させて頂こうと思います。
小児看護専門看護師を目指そう
私は、学生時代に家庭で生活している重症心身障害のあるこどもの学習支援や遊び、また院内学級や重症心身障害児施設でボランティア活動を行っていました。当時から「地域の学校に通う」という、当たり前の生活をすることが難しいこどもたちがいました。なぜでしょうか?人工呼吸器を装着していたり、重症心身障害という障害があるからです。きょうだいが通っている家の目の前の学校に通えない、学校生活を送るための看護師が配置できない、送迎ができない・・・重症心身障害のあるこどもを取り巻く「ないない」づくしの現状に、私は不思議に思い、悲しくも思っていました。それでも、私たち学生ボランティアがお家や院内学級に訪問すると、こどもたちは徐々に“いい顔”を見せてくれ、私たちの訪問を待ってくれていました。それは、私たち学生ボランティアにとっても癒されるときでした。今から振り返ると、このときに出会ったこどもたちの“いい顔”に触れることが、今の私をつくっているのではないかと思います。
はじめての臨床の場として、重症心身障害があるこどもが生活する施設である旭川荘療育・医療センターを就職先に選びました。旭川荘では、筋ジストロフィーなどの神経筋疾患のこどもや、脳性麻痺や脳症などの肢体不自由児や重症心身障害児とかかわりました。何年か経った後に、就学前のこどもが保護者と共に通う母子通園の看護も経験しました。障害のあるこどもとそのご家族とかかわるなかで、看護の難しさに直面し、さまざまな研修や勉強会に赴いていました。当時の師長や先輩にも、いろいろと相談にのってもらい、揺れ動く気持ちを支えてもらっていました。
そんななか、当時所属していた病棟の師長から「この研修会に行ってみれば?」と言われて行った研修会で出逢ったのが小児看護専門看護師という資格をもった方でした。その方は私と同じように障害のあるこどもに長らくかかわっておられ、話すたびに先輩の卓越した看護の捉え方に感動していました。私は看護を一方向でしか捉えることができなかったのですが、その方は多角的、総合的、複合的に看護を考えており、課題への解決のプロセスを導いていたのでした。その方の思考は、困難を解決する魔法のようにも思えました。この先輩との出会いから、「私も小児看護専門看護師を目指そう!」と思い、住み慣れた岡山の地を離れ、小児看護専門看護師の立ち上げにご尽力された筒井真優美先生がいらっしゃる日本赤十字看護大学大学院のCNSコースに進学し、2012年に小児看護専門看護師に認定されました。
小児看護専門看護師とは

晴れて小児看護専門看護師になれたわけですが、何でも解決できる魔法がつかえるようになったわけではありません。「私は何をすべきか?何ができるのか?」を自問自答する日々が数年続きました。
そんな中、私が心がけていたことは、レジェンドのCNSに会いに行ったり、CNSの先輩が書かれた文献や本を読んだりして、先輩CNSの思考プロセスを少しでも学ぼうとすることでした。小児看護専門看護師の事例検討会、スキルアップセミナー、学会、研修会等々・・・先輩CNSの話を聴きました。そうしているうちに、おぼろげながらも「CNSとは何をする人なのか?」「どのように振舞えばよいのか」ということが徐々にわかってきたのでした。
写真は、第6回日本CNS看護学会の懇親会での一コマです。中央の渡邊輝子さんは小児看護専門看護師として初期に認定された方です。右の市原真穂さんは私がCNSを目指したきっかけとなった方です。このようなレジェンドに会うことで、私は「CNSとしての態度」を教えて頂きました。これは私にとって最も大きな学びとなり、今でも私を支えてくれています。
在宅支援病棟での実践
小児看護専門看護師に認定されたころ、私は都内の医療型障害児施設の在宅支援病棟に勤務していました。憧れの小児看護専門看護師になったものの、複雑困難事例を魔法のように解決に導けるはずはありません。重度の障害がある我が子の育児に悩み疲れ果てる母親や父親、きょうだい、祖父母をケアすることの難しさ、そして何よりも「生きること」に常に高度な医療デバイスや、きめ細かな観察とケアを常時必要とするこどもが、どうすれば楽に楽しく生きられるのかということを毎日考えていました。
一人で考え、悩んでいたわけではありません。在宅支援病棟の看護師、保育士、医師たちが常に私の力になってくれました。このような経験をとおして、専門看護師の役割とされている「調整」や「倫理調整」は、専門看護師だけで成しえるものではないことを学びました。私は自分が実践してきた「調整」や「倫理調整」をとおして、自分自身が多くの多職種にケアリングされていたことに気がつきました。APNが行う実践は、他の専門職や人々と上手く協働したり連携できたりする力(フォローしたりフォローされる関係性や、ケアしたりケアされたりする関係性)があるかということが重要であると考えています。
また、在宅支援病棟で出会ったこどもと家族のことは、今でも鮮明に覚えています。わが国は、施策として在宅移行を進めています。NICUでの治療や、肺炎や骨折などの急性期治療が落ち着くと、すぐに在宅移行調整がはじまります。時として、在宅移行支援はこどもと家族にとって酷な現状を生み出すこともありました。「在宅で家族とともに生活することがこどもの最善」、「家族がこどものケアを習得することが当然」といった医療者側の思いが、家族を追い詰めていく現状を何度も目の当たりにしました。私はAPNとして、こどもと家族の負担や不安が少しでも緩和するために、この問題に対してどのように対応すべきかを考え続け、よりよい実践を導き出したいと考えています。
研修研究担当としての実践
在宅支援病棟での勤務後、研修研究担当へと配属が変わりました。前任者はいなかったため、配置換え当時は、手探りで研修研究担当だからこそできることは何かということを考えながら毎日を過ごしていました。
ここで私がはじめたことは、「つぶやき会」と「研究指導」です。つぶやき会とは、看護師や他の職員がなんでも話せる場、雑談ができる場をつくり、ざっくばらんにみんなで話し合う会のことです。会自体は参加者のフリートークにしていましたが、どの会も重症心身障害のこどもやおとなにかかわる看護師や療育スタッフならではの倫理的葛藤を中心として、つぶやかれていました。
ある看護師は、「レスパイト入院のこどもたちのケアに追われて、長期入所しているこどもたちに十分かかわれていないことが心苦しい」とつぶやきました。そうすると、同じような思いを抱いていた看護師たちが「うんうん」と、うなずきました。数か月後、ここでつぶやいた看護師は、うなずいた看護師と共に、長期入所をしているこどもたちのためのイベント(バス遠足、お月見、ハロウィンパーティーなど)を企画して実施しました。そして、「イベントをとおして、こどもたちのたくさんの“いい顔”を見ることができました!」と私に伝えてくれました。コロナ渦によって、つぶやき会は休止しましたが、「悶々とした思いをクローズな場で話してみる」という体験をした看護師たちが、それぞれ少しほっとしたような表情をして帰っていきました。このような活動をとおして、同じ職場で働いている看護師や保育士たちから「仕事が楽しい」と聞くことも増えたことは、私にとっての最大級の喜びとなり、この経験は今でも私を支えてくれています。
また、つぶやき会からリサーチクエスチョンを抱いた看護師もいました。その看護師は自身が抱いたリサーチクエスチョンを探究するために研究をすることになりましたので、私はその看護師の研究指導を行いました。上長に「研究しなさい」と言われるのではなく、自らが「知りたい!」と思って研究をはじめる看護師が増えたことも嬉しかったことの一つになりました。
特定行為研修での学び

世界的に新型コロナウイルスが猛威をふるっていた2020年、特定行為研修(慢性期・在宅領域パッケージ)を受講しました。人との触れ合いが最大限に制限された環境のなかでの特定行為研修は、かなり不自由さを感じることもありましたが、他の研修生とともに講義や演習を受けたりディスカッションしたりすることで、今までの看護技術の学び直しや、新たな知識や技術を得る機会になり、とても有意義な一年間となりました。
特定行為は、医師の業務のタスクシェアやタスクシフトが主たる目的として挙げられることが多いですが、病棟のこどもたちに気管カニューレや胃瘻の交換を実際に実践していると、こどもの体調や気持ちのタイミングでデバイスの交換を行えていることを体感していました。このことは、こどもの体調や時間を尊重するケアにもつながり、よいことであったと思います。
博士後期課程へと
在宅支援病棟に勤務していた頃、あるこどもの母親と話していると、「こういう(重症心身障害がある)こどものことをもっと世間に伝えてほしい。社会にこういうこどもがいるんだっていうことを知ってほしい」と言われました。私はこの言葉がずっと気になっていました。小児看護専門看護師に認定されてから10年が経過したころ、恩師の励ましもあり、博士後期課程に進学にすることにしました。先輩方の話から、3年で修了するためには研究活動と仕事との両立は難しいと言われていたので、当時勤務していた職場を退職して研究活動に専念することにしました。
博士後期課程では、放課後等デイサービスで看護師が行うケアに着眼した研究を行うことにしました。在宅支援病棟では家庭で生活している重症心身障害があるこどものレスパイト入院を受けていましたが、レスパイトの入床枠には限りがあるため、ご家族の希望どおりに入所を組むことが極めて難しい状況だったので、受け入れる側の私としても苦しい思いをしていました。しかし、2012年に放課後等デイサービスが創設されて以来、少しずつ放課後等デイサービスを利用するこどもたちが増えていき、ご家族から「レスパイトに入れなくても、放課後等デイサービスに行けているから大丈夫。こどもの体調が安定して、私も休めています」という話を聞くことが増えました。
レスパイト入院は、家族の休息を目的とした入院形態です。多くの場合、宿泊を伴うので、こどもは環境の変化によって体調を崩したり、家族も多くの時間を割いて入院準備をしなければいけなかったりするという大変な現状もありました。その一方で、放課後等デイサービスに通うことによってこどもの体調が整っていくということを聞き、放課後等デイサービスの看護師はどのようなケアを実施しているのだろうかと思ったことがテーマ設定の発端となりました。
仕事をセーブしたことによって、参与観察という研究方法を用いた研究をじっくり行うことができ、3年間で博士後期課程を修了することができました。参与観察という手法を選択したことで、放課後等デイサービス事業所での看護師のケアの実際を観察させて頂くことができました。博士後期課程の3年間は、病棟の看護しか知らなかった私にとって、とても刺激的であり感動的でもあり、深い学びの体験となりました。
そして、また臨床の道へと
2025年3月に日本赤十字看護大学大学院の博士後期課程を修了し、博士の学位を取得しました。さて、博士号を取得した後、これからどうしようと悩みました。熟慮した結果、こどものそばに行き、またこどものケアにかかわろうと思いました。
現在は、岡山県岡山市にある医療型障害児入所施設である社会福祉法人旭川荘 旭川荘療育・医療センターの看護部に所属し、教育師長として勤務しております。15年ぶりに旭川荘療育・医療センターに帰ってきましたが、昔と変わらずあたたかく迎えてくださった院長、看護部長、副看護部長、スタッフの皆さんの優しさに支えられながら新しい仕事がスタートしました。
今までも重症心身障害があるこどもやおとなにケアを行う看護師教育に携わってきましたが、博士号をもつ小児看護専門看護師として、自分に何ができるかを問いながら、こどもが“いい顔”をしてくれるように看護師をはじめ、職員の皆さんと一緒に楽しく頑張っていきたいと思っています。
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