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地域で活動する診療看護師(NP)の これまで と これから

広田遼一 診療看護師(NP) 

地域医療振興協会 シティ・タワー診療所

日本褥瘡学会・在宅ケア推進協会 評議員





はじめまして,私は岐阜にあるシティ・タワー診療所で診療看護師(NP)として活動している広田遼一です。

今回はAPN後援会のコラム執筆という,貴重な機会をいただけて大変嬉しく思います。

私が診療看護師(NP)として活動して4年が経ちました。自分自身の活動を振り返るとともに,このコラムを読んでいただいく皆さんにAPNについて知っていただける機会になれば幸いです。


はじめに私自身の紹介です…と始めたいのですが,自己紹介というのが1番苦手です(笑)

みなさんは「自己紹介して」と言われた時に,どのようなことを考え,説明しますか?

私は相手が何を知りたいかをまず考えてから話し出しますが,時々,私自身のRootsやBackground,Identityまで考え込んでしまうことがあります。「考え込んでしまう」と表現しましたが,そのことで悩んでいるわけではなく,自分自身を振り返って次に進むきっかけになるので,むしろ幸せなことだと思っています。


最初から話が脱線してしまいましたが,自己紹介に戻ります。

私は沖縄出身の”うちなータイム人間”です。大学卒業まで県外に出る機会がほとんどなかったにも関わらず,就職のため上京した結果,凍える品川駅で沖縄に帰りたくなったことを思い出します。沖縄の海や自然が好きなので定期的に海に行きたくなりますが,岐阜は海に隣接していないので長良川で満足するようにしています。また,音楽やお笑いも好きですが,最近は子育て優先で生ライブに行けていないので,You Tubeのお世話になっています。基本的に「なんくるないさー」の精神で生きていて,何事も楽しみながら取り組みます。

こんな私がなぜ診療看護師(NP)として活動することになったのか,少しずつ説明していきます。


私が診療看護師(NP)になった理由


私は「人の役に立っている実感」のある仕事がしたくて看護師を目指しました。大学入学時は病院で働く看護師のイメージしか持っていませんでしたが,老人施設での実習や保健師実習を通して,地域の保健活動に興味を持ちました。また,沖縄にはアメリカの統治下時代に医療従事者が少なかった地域の保健師が自立して活動していた歴史があったことも知りました。大学の先生たちにmotivateされた私は,「私もいつかは地域住民の生活を支える活動がしたい!そのためには緊急対応の勉強をやらならなくちゃ!」と意気込んで,卒後すぐに都内の大学病院で救急救命センターに所属させてもらいました。そこでは諸先輩方から”うちなータイム広田”に合わせて丁寧に指導してもらいました。私が看護師として尊敬する先輩に出会うこともできました。重症患者ばかりで忙しい部署ではありましたが,毎日楽しくケアをしていました。


ある日,40代のAさんがバイク事故で救急搬送されてきました。C4レベルの頸髄損傷を認め,彼の闘病が始まりました。最初はハローベスト装着の上で絶対安静。呼吸もままならず人工呼吸器管理がなされました。頸椎固定術後は少しずつ安静度が上がりました。リハビリを行うにつれて彼は身体が動かなくなった現実に向き合わないといけません。それでも何とか車イスに乗車しても安定して過ごせるようになりました。

しかし誤嚥性肺炎を発症し,遂に彼から「死にたい…」と訴えがありました。


「ツラいよね…」,「そんな言葉聴きたくないよ!絶対またよくなるから,Aさん一緒に乗り越えよう!」いろんな看護師がいろんな声掛けをして彼を支えました。そして誤嚥性肺炎から回復し,また少しずつリハビリが再開されました。間接嚥下訓練で初めてゼリーを食べた彼が言った「おいしい…」という言葉と本当に嬉しそうな顔を私は一生忘れません。

その後Aさんの努力の甲斐あって,不完全ではあるものの上肢を動かせるようになりました。補助具を使って端座位をとることもできるようになり,痰を出すのも上手くなってきました。


Aさんの闘病が始まって4ヶ月が経ち,全身状態は安定して,ADLも上がってきたので一般病棟への移動が調整され始めました。私は寂しく思いましたが,一般病棟に移ってリハビリをする方がAさんにとって有用なことは明らかでした。「寂しくなるね。病棟に行ってもリハビリ頑張るんだよ!」「時々は元気な顔を見せにきてね!」他のスタッフもAさんとの別れを惜しんでいましたが,移動を予定していた一般病棟から「脊髄損傷を看た経験が少ないから受け入れできません!」と拒否されてしまいました。みんな呆気に取られてしまいましたが,「Aさんの安全のためなら仕方ないよね」と納得しました。

その後もAさんはリハビリを続け,2ヶ月後にリハビリ病院へ転院しました。


その1年後,羊水塞栓のため心肺停止となったBさんが緊急入室しました。なんとか救命して急性期を脱しましたが,意識は戻らず,寝たきり状態になってしまいました。とてもmiseralbeな状況でしたが,急性期の間もBさんに携わった助産師さん達がカンガルーケアやおっぱいケアのために訪室してくれていました。そうしていくうちに少しずつBさんに反応が出てくるようになりました。しかし,明らかな随意運動はなく,気管切開からの吸引など医学的ケアが多く必要な状態が続いていました。

全身状態は安定していたので,今後のリハビリ・療養先を検討し始めました。すると,関わってくれていた助産師さんたちがBさんの受け入れを表明してくれました!助産師さんたちはこれまで成人の吸引やおむつ交換など経験がなかったので,Bさんを受け入れるために数週間ケアの練習をして,実際に引き受けてくれました(もちろんバックアップ体制もしっかり整備して安全には十分に注意しました)。

そして1ヶ月後,なんとBさんが赤ちゃんを抱っこして挨拶に歩いて来てくれました!本人は当時のことを覚えていませんでしたが,私たちスタッフはもちろん大歓喜でした!


私ももちろん嬉しかったのですが,Aさんのことが頭をよぎりました。

「Bさんの時は一般病棟に移動できたのに,Aさんの時はできなかったのは何故だろう…」

「Aさんのためにできることがもっとあったのではないか…」そんなことを考えていました。


そして看護師5年目の節目を迎えた時に,自身の今後のキャリアについて考えました。

当時楽しく急性期看護を行っていたので,重症・急性期ケア分野の専門看護師や認定看護師取得のための進学も考えましたが,何となくしっくりきませんでした。それまでの看護師経験の中で,素晴らしいCNSやCNの方々と知り合っていましたが,私は各人がそれぞれに合った領域で思ったように活動できていないように感じていました。

そんな中でNurse Practitionerという資格に出会いました。当時は本当にマイナー資格で,その存在を知っている知り合いの看護師は片手で数えられるほどでした。しかしNPを調べれば調べるほど,その魅力に惹かれました。

「NPになればもっと患者さんに最適なケアが提供できるんじゃないか?Aさんが一般病棟に移動できなかった,あの時の壁を動かすことができるんじゃないか?」

私のワクワクは自ずと膨れ上がり,自然とNP教育大学院の扉を叩いていました。


APN,NPの魅力


大学院ではフィジカル・アセスメント,薬理学,病態生理などを中心とした医学教育はもちろん,”看護”や”APN”についても深く学びました。本当に多くのことをNP大学院では学びましたが,特に心に残っているのは「理論なき実践は盲目であり,実践なき理論は空虚である」というイマヌエル・カントの言葉です。18世紀の言葉ですが臨床実践に重きを置く私たちの背筋を正してくれる言葉だと思います。

私たちの行う看護実践は偉大な先人たちの努力によって築かれたエビデンスに基づいています。これから私たちが行う実践もいつか後進たちを助けることになることを願っています。


そんな私は現在プライマリケア領域で実践を繰り広げています。これまでは急性期病院で働いてきましたが,2年間のNP卒後研修を経て,前々から興味があった地域の保健活動に活動の領域を移すことにしました。

私が現在所属しているシティタワー診療所は都市部の無床診療所であり,在宅医療を中心としています。小児から高齢者まで様々な疾患を抱えた人たちが,病院ではない場所で,その人らしく生きるためのサポートをしています。診療所での活動を開始して2年が経ちますが,本当に多くの方々の人生に触れる機会になりました。

生まれた時から障害を持った子どもが初めてお家に帰る,がんを抱えた子どもができるだけ家族といる,心不全末期やがんの人が自宅で過ごす。文字にすると簡単に見えますが,それぞれの人,家族に膨大なストーリーがあり,それを一つ一つ読み解きながら,一緒に人生を歩む伴走者になることの大変さを日々実感しています。私たちはどうしても人生の辛い時期に関わることになります。しかし,どんなに辛い時期でも私たちは伴走者として,その人生が少しでもキラキラと輝いてほしいと思っています。


私は地域で生活する人にとって,”医療”は生活の1/10以下だと思います。その人の状態にもよりますが,むしろそれ以上になるのは好ましくないと感じます。これは享受できる医療を減らすという意味ではなく,単純に生活に占める医療の割合の話です。せっかく好きなことができるように病院ではない場所で過ごしているのに,1日24時間のうち2時間を治療を受けるために制限さると考えた時にみなさんはどう感じますか?2時間あれば1つの映画を観れますし,レストランのコース料理を楽しむこともできます。朝起きてから子どもを学校に送り出すこともできるし,昼にゆっくり日向ぼっこして,夕方は家族や友達と楽しい食事をすることもできます。そんな貴重な時間を私は大切に思います。医療の割合を1割にして,残り9割をその人らしい生活に割いてほしい。そのためには質の高い医療ケアを提供する努力と地域の医療福祉職とのチームワークが必要です。

地域で活動する診療看護師(NP)はまだ少ないため認知度も低く,その役割や活動についても発展途上です。しかし,病院内と比較して業種間の連携が取りづらい地域医療という環境において「医師と看護師と患者と家族,病院と診療所と訪問看護ステーションなどを繋ぐ」,「医学と看護を統合し,既存の看護にとらわれずに地域医療・ケアの質を高める」ことは診療看護師(NP)に求められる大きな役割だと感じています。


最後になりますが,人々が健康に自分らしい人生をおくることを助けるために,看護も時代にあわせて進化し続ける必要があります。APNである診療看護師(NP)の看護の醍醐味は新しい知見を取り入れ,看護の可能性を広げることだと思います。私も未病への介入,健康増進などの保健活動にも取り組みたいと考えています。

何事も一人のチカラではシステムとして創り上げることはとても大変です。しかし,仲間が増えればできることも増えると思います。

ぜひみんなのチカラを合わせて,これからの看護をより良いものにしていきましょう!


 

いかがでしたでしょうか?来月はハワイでNPとして活躍されているブイ(Buie)良恵さんの登場です!


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