老人看護専門看護師
石巻赤十字病院
日向園惠(ひなたそのえ)
老人看護専門看護師としてチャレンジしていること
私は現在、老人看護専門看護師(以下、GCNSと略す)として急性期病院の外来に勤務しており、超高齢者や認知症の人の退院後を見すえた入院前の支援を中心に活動しています。例えば、医師からの治療や手術の説明後の、意思表明や意思表出支援、手術や治療によるせん妄・入院関連機能障害や肺炎予防などの支援やその仕組み作りを行っています。
そして、最重要課題としてチャレンジし続けているのが、身体拘束をなくす取り組みについてです。人間にとっての権利や尊厳を脅かし、QOLを著しく低下させてしまう身体拘束は、急性期病院でなくすことは不可能と思われてきました。しかし、金沢大学附属病院をはじめとする急性期病院で身体拘束ゼロを達成するなど、全国的にも拘束解除に向けた様々な取り組みを耳にする機会が増えてきました。さらに、令和6年度の診療報酬改定で「身体的拘束を最小化する取組の強化」が義務付けられ、組織的な体制が整備できない場合は、減算される仕組みとなりました。当院でも身体拘束の最小化に向けた取り組みを推進しており、組織全体の課題として不必要な拘束を実施せず、必要がなくなったら早期に解除できるように、組織文化の変革に取り組んでいます。また、転倒転落時の心理的安全性の確保のためのカンファレンスの実施や、せん妄や認知症のBPSD(Behavioral and Psychological Symptom of Dementia) に対する看護の工夫で、身体拘束に頼らない組織の風土作りを行っています。また、職種に関係なくケア提供者の倫理的感受性を高めるための、臨床倫理に関する仕組み作りにも挑戦しています。
高齢者虐待の現状を目の当たりにして
以前は地域で介護支援専門員として勤務していました。その時に市内の宅老所で、高齢者に対しての身体的・精神的・経済的な虐待が行われていたという出来事に遭遇しました。その宅老所では、脳血管疾患による後遺症で寝たきりで胃瘻造設されている方や、重度認知症の方々がたくさん入所していました。急性期病院で治療を受けたのちに退院先が決まらずに、家族の介護も難しい状況から、やむを得ずその宅老所に入所していた方々も多くおりました。本人の意向が分からないままに、胃瘻が造設されている状況や、医療や社会制度そのものに疑問を持ち、高齢者虐待が起きる理由についても深く学びたいと思い福祉の大学に進学しました。その後、弁護士が代表を務める高齢者・障害者の権利擁護団体にも関わるようになりました。そこでは当事者主権・障がいの捉え方・障がい者との接し方を深く学び、ノーマライゼーション・ケースワークの原則や権利擁護についての知識を身に着けました。この出来事をきっかけに、急性期医療の現状が分からないと、高齢者の尊厳が脅かされている状況や権利を守ることもできないと考え、急性期病院に再度就職しました。
Nothing about us without us
人は誰でも、年齢や疾患、障害の有無に関わらず、自分のことは自分で決めたいと思うし、それが難しくなった場合でも、自分の希望を叶えてほしいと願うはずです。私たち看護師には代弁者としての役割がありますが、障害者の権利条約を批准する際にスローガンともなった言葉である「私たちのことを私たち抜きに決めないで(Nothing about us without us)」そのことを、いつも中心に据えて心掛けています。急性期病院という医療が中心になりがちな場面でも、本人中心を誰もが当り前に考え実践できるように、調整し続けています。
豊かな看護実践を経験して
所属病院では在宅医療や訪問看護の部門があり、訪問看護師兼介護支援専門員として、地域で療養している医療ケア児から100歳近い超高齢者まで、幅広い年代の利用者のお宅を訪問していました。その時に一緒に働いていたベテラン看護師の先輩方は、利用者がその置かれた状況のなかで、どうしたら豊かな生活や人生を過ごすことができるのかを常に考えながら訪問看護を行っていました。在宅という限られた資源や環境で、経済的にも厳しい状況下でも、利用者や家族の残存能力が最大限に発揮できるように、多職種と協働しながら豊かな看護を実践することを体験しました。あの時の経験は、私の看護師としての基本になっています。
東日本大震災での「黒エリア」での活動を通して
さらに、私の価値観に大きな影響を与えた出来事としては、東日本大震災での「黒エリア」での活動があります。「黒エリア」では、想定外に運ばれてきた、たくさんのご遺体と向き合うこととなりました。私たちにできたことは、シシリーソンダースが「DoingではなくBeing」といったように、「ただそばにいる」ことだけでした。お湯も出ない、棺桶もない、エンゼルケアをする道具も物もない、そんな中、ご遺体を探しにやってきた家族(遺族)に対して、しばしそのご遺体とその遺族が空間をともにできるように環境を整え、後々その遺族が困らないように、遺品と思われる品々を遺体と離れ離れにならないように保管することであり、遺族の想いを聴くこと・聴き切ることだけでした。さらに、「黒エリア」に関わるたくさんのスタッフの心のケアも担い、その場での活動はまさにスピリチュアルケアの連続でした。
災害では、形あるものは壊れてしまい、失った物も多くありましたが、知恵や知識、大切な人とのつながりはなくなりませんでした。高齢者の尊厳とは何かを模索し続けていた私は、スピリチュアルケアについての知識や知恵をあらためて身に着けたいと考え、大学で学び直しをしました。その2年間の学びのなかで、全国から集まった宗教家とともに、会話記録の振り返りを通して、「対話」の実践を他者評価することを繰り返しました。自分の課題は、「死に関する話題を無意識に避けている」、「感情を表に出さない」ことなどが明らかとなりました。課題克服に向けて、普段の対話のなかでも、意識して対象者と真摯に向き合うことを繰り返しています。
たくさんの仲間との出会い
これまでたくさんのご縁や出会いに導かれるように、歩んできたことをあらためて実感しています。GCNSとして、さまざまな学会や研修会に参加する機会が増えて、エンド・オブ・ライフ・ケアにおける高齢者看護の質を高めようとする先輩や仲間が県内だけではなく、全国にできました。GCNSの同期とは、毎年のように事例検討会を開催し、切磋琢磨している心強い仲間になります。また、分野も職種も違った方々との交流が増えたことも、GCNSとして資格のお陰だと感じています。
2025年はどんな年になるのでしょうか?高齢者が尊厳をもって生きている喜びを実感できる、そんな社会になるようにこれからもチャレンジをし続けていきたいです。
いかがでしたでしょうか?次回は関西ろうさい病院で診療看護師(NP)として働かれている山下愛さんです。お楽しみに!
>災害では、形あるものは壊れてしまい、失った物も多くありましたが、知恵や知識、大切な人とのつながりはなくなりませんでした。
心に響きました。医療者も含め、繋がりがあるから人間は生きていける。そして、その繋がりがその強さを強固にしていくと思います。対話も傾聴もその一部だと再確認させられました。
GCNSの同期と事例検討は素晴らしい活動ですね。同期と言わずGCNS全員に広めれば、GCNSの活動開発やガイドラン作りにも反映できると思います。よければ、当会のHPグループ機能を利用することもできますよ。ぜひご検討を。