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Critical Care NPへの挑戦-集中治療の中で見えてきたもの-

執筆者の写真: society4japnsociety4japn

医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院

  看護部 麻酔科集中治療部

診療看護師(NP)渡部大地


今回、このような貴重な機会をいただき、とても嬉しく思うとともに、これまでの記事が経験豊富で素晴らしい先輩方によるものばかりですので、恐縮しております。そんな中、どのようなことを書こうかと記事を読んでいると、「あなたはどんなNPですか?」という問いを投げかけられているような気がしました。そこで、この問いに答えられるように、これまでの私自身の内面も含め、現在の私なりの想いを綴っていきたいと思います。


看護師になるまでの私


私が看護師を目指した理由には、特にきっかけがあったわけではありません。周囲からの勧めにより、なんとなく決めたと記憶しています。しかし「せっかくやるなら深く突き詰めたい」という謎に熱い(暑い?)思いがありました。大学生の頃から急性期医療にカッコ良さを感じており、なぜ、その領域にカッコ良さを感じたのか記憶にありませんが、「もし希望に沿わない部署への配属だったら次の日から行かない!」と思うほどでした。とにかく、鼻息の荒い変なヤツであったと自分でも思いますね。


看護師になってからの私

看護師として晴れて集中治療室(ICU)へ配属していただいた私は(次の日から出勤しないという事態は回避できた)、当然ながらうまくいかないことばかりでした。ICU患者の複雑な病態や治療、ミスが生命に直結するという緊張感とプレッシャー、その中で患者の意向や想いを捉えて合意形成し、ケアを提供するという高度な技術や経験が求められる環境は、学生時代に考えていたものよりもはるかに難易度の高く感じました。個人的な見解ですが、同期の中で私の成長スピードが最も遅かったと思います(笑)。多くの先輩に指導していただきましたが、なかなか周囲に認めてもらえるレベルに達せず、管理者からは異動の提案をしていただいたこともあります。しかし、「何となくカッコいい」と思って選んだ領域であっても、自分で決めた以上、もう少しここで頑張りたいと伝え、周りに迷惑をかけているのは承知しておりましたが、ICUでの勤務を継続させていただきました。

 振り返ってみると、看護師として伸び悩む中で勤務を続けられたのは、スタッフの支えに加え、患者家族にも助けていただいていたからかもしれません。私は、ICU滞在が1泊と短い、癌切除後の患者を担当しました。その方のライフサイクルで考えると、癌の告知から手術を選択し、今に至るまで様々な想いがあったと思います。ここまで来られた方に対して、ICUの術後患者という枠を超えて、そういった方の人生に真摯に向き合うことを心がけていました。その患者は予定通りICUから転棟し、退院する際にICUに来てくださり、私に手紙を渡してくださいました。そこには、「細やかな対応をしていただき、ICUで安心して過ごせました」と書いてくださり、私は自身のスタンダードなケアを肯定されたことで、看護師として自身の存在も肯定されているような気がしました。そして、初めて患者からいただいた言葉に見合ったサービスを提供できているという自信がつき、その言葉を受け入れることができました。ICUという超急性期にいながら、そのユニットでの事象に留まらない思考を、少しずつではありますが広げられてきたことで、クリティカルケアにやりがいや面白さを感じていきました。そのような中で、診療看護師(NP)という道を知りました。元々私は、大学院で疫学を学び、治療や病態といったミクロな視点と、地域や社会といったマクロな視点の両方から患者を捉えられるようになりたいと考えていました。また、法律や裁量権には一定の制限があるものの、当時の私は、患者にとっては「誰が行うか」よりも「何をしてもらうか」がより重要だと感じていたことから、医療者として自立して判断し、より多くの患者に貢献できる存在になることを目標に、NPを目指すことに決めました。


NPになってからの私

2022年にNPになった私は、看護部から出向という形で23年から麻酔科集中治療部に所属し、再び集中治療という領域に携わっております。ICUの看護師からICUのNPとして、異なる立場で同じ景色を見ることになりました。とは言っても、大学院で様々な学びを得たことで、2年前の自分とは異なる「フィルター」を通して集中治療の現場に関わり、まるで同じ映画を違う年齢で観るのと同じくらい、見方や感じ方が異なっていました。私達の働き方を簡単に説明させていただくと、当院のICUは16床あり、診療体制はsemi closed ICU、麻酔科は全ての成人患者の診療に介入します。治療方針は主治医科と麻酔科で協議し、ICUにおける診療は麻酔科主導で行います。麻酔科メンバーは、麻酔科医師3名(1名の上級医が全体を監督)、NP1名(私)、研修医1〜2名で、日によって多少変動しますが、概ね5〜6名のメンバーで構成されています。上級医は各メンバーに3名前後のICU患者を割り付け、メンバーはICU退室まで割り付けられた患者を一貫して担当します。患者の割り付け方は、メンバーがその時に担当している患者の重症度や人数を考慮しながら決定されますが、基本的には明確な基準はなく、ランダムに近いです。上級医はICU全体の患者診療を監督しており、私も3名前後の患者を担当し、ICU入室から退室までの診療やケアを担当します。私の担当患者の重症度や疾患は非常に多種多様であり、予定手術後で状態が非常に安定している方から院内急変や院外心停止で入院し、ECMO(体外式膜型人工肺)を要する患者まで様々です。また、最近では患者が高齢化、多併存疾患を持つ患者の増加から、順調に回復しない場合も多く、単に治療を遂行するだけではなく、患者家族と共同意思決定(shared decision making :SDM)を行い、患者の意向に沿ったケアをいかに提供するかの重要性がますます強くなっていると感じます。特にそのような患者が増加している情勢でこそ、NPが集中治療のチームメンバーとして貢献できる可能性が高いと思います。


私の担当患者に、70代女性で肺炎治療中の方がおりました。その方は人工呼吸器使用中で、装着期間も10日間を超えており、医療チームは気管切開が妥当な選択と考えていました。患者は鎮静中で、覚醒時もせん妄のため本人の意向を確認できません。一方で、家族は主治医から病状説明をされ、気管切開の提案を拒んでいました。これ以降、家族は気管切開を拒否しているという情報のみが独り歩きした状態となり、どうしても医療者と家族の話し合いが手技主導(procedure-oriented)であり、患者の目標主導(goal-oriented)とならず、両者の間で対立が生じかけているような状態であったと記憶しています。私は家族と「気管切開についてではなく、患者がどのような方なのかについてお話を聞きたい」という意図で面談すると、家族からは本人のこれまでの生活や考えに関する様々な話を教えて下さり、家族は気管切開が本人の意思に沿わない可能性があることを懸念して、推定意思を表示していました。人工呼吸器期間が10日を超えれば気管切開を推奨する報告もあります。しかし、数日のトレンドで状態改善の兆候がみえていたこと、それに伴い本人の意向の不確かさも解消され、それを加味した治療の方向性の決定が出来る可能性があると考えました。つまり、患者状態および本人の推定意思踏まえて、改めて期限付きで抜管を目指す余地があると判断し、それを多職種で検討・共有し、ある種の期限付き治療(time-limited trial)として3日後に再度抜管の可否を判断する方針となりました。皆で決定したことではありますが、私は自分で提案した手前、何とか目標を達成しなければと毎日エコーで患者のvolume statusを評価し、人工呼吸器はlung restのための設定に調整し、日々SAT(自発覚醒試験)やSBT(自発呼吸試験)の評価、培養結果を確認して抗菌薬の適正化、有効な肺理学療法について理学療法士や看護師と協議し、必死だったと思います。しかし、その時私だけではなく、集中治療の多職種チームは、それぞれの職種が各々で患者へ関わるmultidisciplinary modelではなく、共有された達成すべき目標に対して、多職種が専門性を発揮するinterprofessional collaborationとなっていたと感じました。そして期限の3日後、患者の呼吸状態はさらに改善、意識も筆談で意思表示出来るようになるまでになり、「治療を頑張りたいので管(挿管チューブ)を抜いてダメだったら気管切開もしてほしい」という明確な意思表示をされ、家族とも共有することが出来ました。その後、人工呼吸器を離脱・抜管し、最終的に退院することが出来ました。この患者の結末が、チーム皆が望んだ結果になったのは、もちろん患者や家族自身のちからだと思います。しかし、それを支えたのは集中治療チームであり、私はそのチームを駆動させるための火種の一部になることが出来たのではないかと思いました。


私の考えるNPのあるべき姿

NPはタスクシフトやタイムリーなケア、多職種のつなぎ役や架け橋、などと比喩されることが多いと思います。しかし、私個人としてはそれはあくまで結果的にそうなるのであり、それ自体が存在意義ではないと感じております。Hamricの高度実践看護モデルでは中心的コンピテンシーを7つのコアコンピテンシーが包括しており、その中心的コンピテンシーである直接的臨床実践こそAPNの遂行するための基盤と提示しています。集中治療という刻一刻と状態変化し、患者家族の想いが揺らぎやすい環境下で、質の高い直接的臨床実践を提供することこそが、結果的にチーム医療や職種間の連携を強化し、タスクがシフトされていくことにも繋がるのだと考えております。


私の目指すNPのビジョン

日本におけるNPの歴史はまだ20年に満たず、「NPに何を求めますか?」といったNPへのニーズや役割を、他者に尋ねることは大切なことの一つかもしれません。しかし、私の好きな言葉に“If I had asked people what they wanted, they would have said faster horses.”「何が欲しいかと尋ねれば、人は皆『もっと速い馬』がほしいと答えるだろう」(Henry Ford)という言葉があります。これは「今あるものの改善」を常に提示されるため、馬から自動車へといった不連続なイノベーションには、「誰かの声」を聞くことは望ましくないというのがこの言葉の意味であると言えます。確かに、NPという存在だけで医療における問題の数々が解決されるほど単純なものではありません。しかし、NPという存在が、日本の医療における不連続なイノベーションの一つであることを信じたいというのが私の思いです。私はまだNPとしての経験も浅く、NPとなってからも、「明日のケアは、こうしたらもっと良くなるんじゃないか?あぁでもなぁ…」と、恐れ、迷い、後悔を感じることは少なくありません。しかし、誰かのニーズに応えようとするだけではなく、自らの役割を創り出していく、想像・創造していくという姿勢が絶対に必要なのだと信じています。これまで多くの患者家族に助けてもらってきていますが、それに胸をはれるような医療サービス、ケアを提供できるAPNになれるよう、自分の信じる道を貫きたいと思います。


大学の頃からはまっていたサウナで東北まで遠征し”整い”ました。

私のリラックス方法の1つです。



 















いかがでしたでしょうか?次回は藤田医科大学病院で診療看護師(NP)として働かれている谷田真一さんです。お楽しみに!

2 Comments


野々内美加
野々内美加
Oct 20, 2024

とても興味深く拝読しました。特にヘンリーフォードの言葉です。私も数回ブログの方で書きましたが、経験したことのない人に意見を求める意味の低さはあると思います。その人が経験できて初めて意見を求めることができる、と思うからです。その点でフォードの引用は的確だと思いました。


で、気になったのでネットで調べてみると、フォードが本当にこの言葉を口にしたのかは確かではないようです。そして自動車会社フォードとしての軌跡、現在のビジネスモデルに反映しての意味などビジネス系の雑誌数社で書かれていました。興味があればぜひ読んでみてくださいませ。


さて本文に戻って、完璧さを求めてスタート地点でフルスタートが難しい状態が長く続いている日本の診療看護師(NP)界隈を私はよく思ってはいません。しかし一度走り出せば、見えてくる景色も変わり、自身のコンディションも変わってきます。その中で環境を見極め対応していていく順応力や俊敏さが持久力のある走り方だと思います。環境には患者、家族、多種職、政治も含むので、それらの声にアンテナを高く設置しておくことは重要です。さもなけらばフォードと同じ運命を辿ることになります。患者あっての医療職。常に患者を主語にしていれば必ずその効果は広がります。応援しています。

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渡部 大地
渡部 大地
Oct 26, 2024
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診療看護師(NP)を取り巻く環境では、なぜか組織間の利害関係が優先され、医療者間の思惑が錯綜する議論になりがちだと感じます。しかし、常にサービスの受け手である患者の視点を考慮しなければ、持続可能な未来はありません。

激励の言葉ありがとうございます!

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