NPとして歩んだ道のりと救急・急性期在宅医療の展望
- society4japn
- 5月28日
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福田 貴史 診療看護師(NP)
副院長 緑橋在宅クリニック
はじめまして。緑橋在宅クリニックの福田貴史と申します。現在は「救急・急性期在宅医療」を掲げ、大阪市内で訪問診療クリニックの副院長として診療・運営に携わっております。
このたび、APN後援会のコラム執筆という貴重な機会を頂戴しました。現場にいる一人のNPとして、これまでの歩みや日々の実践の中で感じていることを率直に綴らせていただけたらと思います。本稿が、同じく臨床の現場で奮闘されている皆さま、そしてこれからAPN、NPを目指される方々にとって、少しでも参考となれば幸いです。

私はもともと兵庫県内の大学病院で、救急・集中治療領域の看護師として勤務していました。看護師として5年目を迎えた頃、日々さまざまな臨床課題に直面しながら、実践者としての自分の進むべき方向を模索していました。
その頃、米国にはNurse Practitioner(以下NP)が存在し、日本では診療に含まれる領域までを自律的に実践し、多くの成果を上げていることを知りました。2009年頃には日本でもNP導入の検討が始まり、厚生労働省内に部会が設置されるという情報も得ました。当時の私は、米国におけるNPの情報、日本でのNP教育の現状、厚労省の部会での議事録などを貪るように調べていました。
2013年に、東北文化学園大学大学院・健康福祉専攻ナースプラクティショナー養成分野に入学しました。いくつかの大学院を検討する中で、夜間開講があり、働きながら通える点に魅力を感じて同大学院を選びました。当時は東北医科薬科大学病院のICUに所属しながら大学院生活を送り、同期や先輩にも恵まれて、毎日切磋琢磨しながら学んでいたのを覚えています。実習先も同じ病院だったため、特に心臓血管外科の先生方には、実習以外の場面でも臨床判断や手技について丁寧にご指導いただきました。
2015年、日本NP教育大学院協議会の認定を受け、診療看護師(NP・クリティカル領域)資格を取得しました。大学院終了後は再び関西に戻り、見学を通してNPが非常に高いレベルの実践を行っている姿に強く感銘を受けた、国立病院機構大阪医療センターへの就職を決めました。
NPとしての最初の2年間は初期研修医と一緒に各診療科をローテートしながら臨床研修を行いました。この期間は、過酷で刺激的な密度の濃い2年間でしたが看護師としての視点からNPとしての視点へと切り替えるうえで、とても重要な時間だったと思います。研修終了後は、総合診療科NPとして救急および入院診療に従事しながら、日々症例ごとの医学的判断や診断、標準的な治療介入について指導医とディスカッションを行いながら勉強と実践を繰り返しました。振り返ると、こうした日々の反復によって看護師としてのバックグラウンドに診療能力が融合した、独特のスタイルが徐々に形成されていったように思います。

またNPとしての実践を通じて、「診療看護師(NP)の導入が診療の生産性にどのような影響を与えるのか」という視点から2本の論文を執筆し、臨床におけるアウトカムとして報告しました。
NPとして7年目を迎えた頃、ある疑問が私の中に芽生えました。日本におけるNPは法的に整備されておらず、現場での実践は、医師とNPの信頼関係の上に成り立っているのが実情です。これまで報告してきたアウトカムは、果たして施設や地域を越えても普遍性を持つものなのでしょうか?NPのいない地域・医療機関でNP部門を立ち上げ、アウトカムの再現が可能なものか、自分自身で試したいという思いを強く抱くようになり、具体的な検討を始めました。
医療機関の選定にあたっては、これまでの経験を踏まえて「救急に力を入れたいと考えていながらも、マンパワーの不足により実現できていない施設」が最も適していると考え、日本各地に目を向けていました。そうした中で出会ったのが、鹿児島市の中心部から南へ移転した直後の鹿児島徳洲会病院です。同院では、鹿児島南部からの救急搬送を積極的に応需するという方針がある一方で、医師のマンパワー不足や高齢化によって、救急体制は脆弱な状況にありました。
さっそく鹿児島徳洲会にNP導入提案を行いプレゼンテーションの機会を頂きました。病院長、看護部長よりNPの導入、NP部門の立ち上げに対し積極的なご意見を頂き、2022年4月より鹿児島に移転しNP部門の立ち上げを行うこととなりました。
鹿児島徳洲会入職後から役割の構築と運用は想定を遥かに上回るスピードで進みました。大阪でのNPの実践を、院長・看護部長が共に理解してくださり、わずか2〜3週間という短期間で所属診療科、指導医体制、代行権限が明確に定められ、カルテ操作権限や院内ホットライン体制の整備まで完了しました。
私は救急総合診療部に所属となり、部長の強いリーダーシップのもと、ER診療および入院診療に従事することとなりました。救急外来看護師や新たに配属された救命士、各検査部門との連携し、救急患者の“不応需”を徹底的に減らす体制づくりに取り組みました。また、集中治療室や病棟とも緊密に連携を取りながら、可能な限り迅速かつ的確な患者管理を実現すべく尽力しました。
もともと地域には救急医療への潜在的なニーズがあったのだと思います。実際、救急搬送数は短期間で大幅に増加し、同年秋には鹿児島徳洲会病院の開設以来、月間として最多の救急搬送件数を記録するに至りました。
業務は非常にハードでした。病院としても過去を大きく上回る救急搬送を受け入れることで、大きな負荷がかかり、病院の各部門に「軋み」を感じる場面も多くありました。それでも、目に見える成果を関わる全員が共有し、確かな手応えとして実感していました。ちょうどその頃、以前一緒に働いていたNPが鹿児島にいたことから、声をかけて新たに仲間に加わってもらい、NP2名体制が実現。救急総合診療部としての体制もさらに強化されることとなりました。

日々の業務は目まぐるしく、気づけば時間があっという間に過ぎていきました。2年目を迎える頃には、鹿児島徳洲会病院におけるNP体制をさらに拡充し、救急・急性期機能を強化していく方針が打ち出されました。全国の大学院を対象にリクルート活動を行い、NPを増員していくという、次なる展開に向けた動きが本格化していたのです。
しかし、同じ頃に事態は大きく急転します。私を信頼し、受け入れてくださっていた病院長および看護部長が、法人全体の大規模な人事異動の中で鹿児島を離れることとなったのです。新たな院長体制のもと、病院としての方針も大きく転換されました。救急対応は、私が着任する以前のように各診療科による持ち回り制へと戻され、救急総合診療部については「縮小」の方向性が打ち出されました。私自身についても、「今後は外科所属として、救急診療は外科NPとして担ってはどうか」と、新院長から提案を受けました。
まさに、晴天の霹靂でした。
かつて自分の論文の中でこう書いていたことを思い出しました。
「法的根拠を持たない現状においては、診療看護師(NP)の実践は、所属する組織や指示を出す医師がNPの能力や役割を十分に理解していること、そして医師とNPの間に信頼関係が築かれていることを前提として成り立っている。そのため、これらの条件が破綻した場合、NPとしての役割遂行が困難になる可能性がある。」
まさにその状況が、現実のものとして目の前に立ち現れた瞬間でした。この出来事は、NPとして、そして一人の医療者として、これから自分がどうありたいのかをあらためて深く考えるきっかけとなったのです。
そんな中、鹿児島市内のある医療機関から、NP部門の立ち上げのお誘いをいただいていました。当時の私にとって、それは現実的で魅力的な選択肢に思えました。
一方で、当時の上司だった救急総合診療部長からは、「NPを中心とした在宅医療をつくってみないか」という新たな提案もいただきました。
複数の選択肢が目の前に現れたことで、自分はNPとしてこれから何を大切にし、どんな医療を実現したいのかを、あらためて真剣に考えるようになりました。
救急・総合診療に携わる中で、私はたびたび「医療のレール」から外れてしまう人々と向き合ってきました。入院の継続が難しい方、さまざまな事情で入院できない、あるいは入院を望まない方、そうした方々が、必要な医療を受けられなくなり悪循環に巻き込まれていく現実を目の当たりにしていたのです。さらに、超高齢者にとっては入院そのものが生活機能を低下させ、在宅復帰を難しくするケースも少なくありませんでした。

在宅でも、もう少し柔軟なかたちで医療を提供できれば、それらの課題を解決できるのではないか。そんなことを朧げに考えていた頃、米国で展開されている急性期在宅医療モデル「Hospital at Home」の存在を知りました。急性期医療も病院の外で成り立つという発想に触れ、強い関心と可能性を感じたのを覚えています。生活を重視する在宅医療と、治療を主とする入院医療。そのあいだにある空白を埋め、救急・急性期にも対応できる柔軟な在宅医療体制が実現できれば、医療の選択肢は確実に広がり、「医療のレール」からこぼれ落ちてしまう方々を減らすことができるのではないか、そう考えるようになりました。
そして私は、部長の提案に賛同し、NPを主軸とした在宅医療の立ち上げに挑戦する道を選びました。自分が目指したい医療のかたちが、そこにあると感じたからです。
救急総合診療部長が運営する訪問診療クリニックが埼玉にあり、数ヶ月間そこで訪問診療を学ばせていただいたのちに、2024年4月、大阪市内に「緑橋在宅クリニック」を開設しました。物件選びから始まり、保健所や厚生局への各種届出など、一つひとつの手続きが新鮮で貴重な経験となりました。
開設当初、「救急・急性期在宅医療」というコンセプトを掲げ、地域の医療機関に向けてプレゼンテーションを行いました。しかし、「何を紹介すればいいのかわからない」「本当にそんなことができるのか」といった反応が多く、地域には強い戸惑いがあることを感じていました。
それでも、救急外来からの入院困難例や、急性期治療が必要だけども自己退院された方など、少しずつではありますが紹介をいただくようになりました。そうしたケースに対応を重ねる中で、地域の医療機関、そして私たち緑橋在宅クリニック自身にとっても、「救急・急性期在宅医療」というビジョンが次第に具体化し、紹介件数も徐々に増えていきました。
このコラムを執筆するにあたり振り返ってみると、クリニック開設後1年間で、NPとして150人以上の患者さんを担当してきました。それぞれの方が印象深く、日々の診療はまさに一期一会の連続です。日常的に予期せぬ事態に直面しますが、その都度、治療と生活の最適解を丁寧に考え抜くことで、自身の問題解決能力はもちろん、クリニック全体の対応力も着実に高まっていることを実感しています。
また、地域との連携も、医療機関にとどまらず、行政・警察・消防など多方面に広がり、この取り組みが確実に地域に根付き始めている手応えを感じています。
「医療のレールから外れる人を減らしたい」以前、そう考えていました。しかし、救急・急性期在宅医療の立ち上げを経験した今では、どのようなフェーズの医療でもレールをその方の生活の中へと伸ばし、そこに医療を届けることができるのだと、自信を持って言えるようになりつつあります。
入院医療と在宅医療の間にある空白にこそ、私の臨床課題を解決する道がありました。本稿を読まれている皆さんが臨床の中で日々感じている「空白」とはなんでしょうか?
最後になりますが、NPとしての挑戦を日々支えてくれている妻と長男、そしてNPの可能性を理解し、常に応援してくださっている院長をはじめ、少数精鋭で歯を食いしばりながら体制を支えてくれているスタッフ、さらに強い共感と連携をもって共に歩んでくださっている地域の関係各所の皆さまに、心より感謝申し上げます。
拙い文章ではございますが、本稿が、現場で模索を続けておられるAPNの皆さま、そしてこれからAPNを志す皆さまにとって、少しでも参考となれば幸いです。
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