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アメリカで看護の夢を実現

鈴木ファウラー実絵 NP

Hilo, Hawaii, USA


初めての渡米は高校2年の時のシアトルへの交換留学です。小学校5年の頃から英語に興味を持ち始め、中学で出会ったコロラドから来たAET(Assistant English Teacher)に憧れてアメリカへ行く道を探し、交換留学が実現しました。ホストファミリーは両親と13歳の女の子。英語がほとんできない状態で始まりますが、家族、特に娘さんの手助けで学校の課題などをこなす事ができました。現地の生活に溶け込もうとした努力がとても大きな財産になったと思います。


シアトル郊外だったので、どこへ行くにも車が必要でしたが、学校が始まる前にホストの親戚の居るWenatcheeへ2週間ほどキャンプへ出かけたりしました。その時のアウトドアでの会話を通じて言葉の壁を克服していきました。

ところが2年目の滞在になる頃に家族内での問題が発生し、私は日本への帰国を余儀なくされ、実家の長野に帰ることになりました。突然の出来事で、16歳の私がこれからどこでどうして生活をしていけば良いのか全く分からず、しばらく途方に暮れた事もありましたが、計画した事通りに行かないことそしてそこから他の道をどうやって切り開いて行けば良いかなど学びました。

日本に帰国後、地元で高校を卒業し、スポーツトレーナーになる専門学校へ進学、卒業後は実家近くの整形外科で働きました。


でも、アメリカにまた住みたいという気持ちは強くあったので、行く手段を探しながら英会話学校を体験していました。その時にオペアの広告を目にし、その日のうちに問い合わせをして、2000年8月に渡米が決まりました。


当初はオペアとしてアトランタで生活をスタートしました。

オペア(Au Pair)の経験は、異国での生活に触れながら、文化交流や言語学習を深める絶好の機会となります。このプログラムは、主に若い成人がホストファミリーの家庭に住み込み、子どもの世話や簡単な家事を手伝う代わりに、滞在費や食費が提供されるものです。参加者には、海外で生活する経験や語学力向上だけでなく、新しい人々との交流や異文化への理解が得られるという利点があります。滞在した家庭には6歳の女の子、4歳の男の子、17ヶ月の男女の双子で、私は主に双子のお世話をさせて頂いて1年過ごしました。クリスマスにはホストペアレンツと一緒に山ほどおもちゃをクリスマスツリーの下に運んだ思い出があります。

とてもやんちゃな子供達でしたが、双子の成長していく姿を毎日感じながら楽しく生活する事ができました。


交換留学の経験もありましたが、生活は挑戦の連続でした。子どもたちの世話をしながら英語またアメリカの文化に触れることで、こちらでの生活に少しずつ慣れていきました。

またホストファミリーの両親の実家、ケンタッキー州ルイビルとノースキャロライナ州ウィルミングトンなどに長期でいく事もできたので、とても充実したオペアとしての1年でした。25年経った今でもこのご家族との交流は続いていますし、一昨年長女が結婚する際もお祝いさせてもらいました。


オペアの経験を通じて、アメリカでのキャリアを真剣に考えるようになり、まずはコミュニティーカレッジでESL(英語の補習クラス)を受講しながら、看護学部への進学準備を進めました。そして2006年12月に4年制大学の看護学部を卒業し、念願の看護師(RN)としてのキャリアをスタートさせました。

看護師になりたかった理由はいくつかあります。まずは人体の不思議に迫って見たかったこと。あとは当時看護師が不足していたのでグリーンカードが簡単に手にいる事ができた事。ですが私が卒業した時すでにそのプログラムは終了していました。


大学卒業後、最初に就職したのはアトランタの病院の腫瘍科で、そこで私はすぐにチャージナースへと昇進し、さらに2年後にはユニットマネージャーに任命されました。新人の私にこの役割を委ねられたのは日本人の特性でもありますルールを守って真面目になんでも取り組むからではないかと思っています。ですが、腫瘍科での新人看護師としてのスタートは、緊張の連続で、最初の患者さんを受け持った時の気持ちはまだ覚えています。チャージナースに抜擢された際に責任の重さを感じ、患者さんとの関係を築く中で自分が話すよりも、聞く事を重視する事によって患者さんが抱えている不安や心配事などを汲み取る事ができたと思います。


リーダーシップを求められる立場となり、多くのことを学びました。マネージャー・リーダーのクラスを取ったり、専門書を読んだりと、ナースとしてのスキルも求められましたが、それ以上にリーダーとしてのスキルを磨くことも求められました。

ナースのキャリアで腫瘍科を選んだ理由は、患者さんと長い時間を過ごすことができ、その中でたくさんのことを学べると思ったからです。患者さんとの関係を深めながら、専門的なスキルを身につけることができました。2008年には腫瘍科専門看護師の試験に合格しOncology Certified Nurseとなりました。





その後、2009年に夫の仕事の関係でシカゴへ移り、腫瘍科の外来で化学療法(Chemotherapy Infusion Nurse)を担当することになりました。外来での化学治療が主流なので患者さんはナースとしょっちゅう顔を合わせますし、たくさんの時間を一緒に過ごします。そんな中で、副作用の初期発見や治療中に困ったことなどの相談役として沢山の患者さんのケアに関わる事ができたのは今でも光栄に思っています。


2010年に再びアトランタへ戻り、外来勤務を続けながら、放射線科にも従事しました。しかし、より専門的な知識を深め、患者さんに包括的なケアを提供したいという思いから、2015年にナースプラクティショナー(NP)になることを決意。仕事と子育てを両立しながら大学院へ進学しました。

NPを目指した大きな理由の一つは、ハワイ島に引っ越すことが決まっていたため、地域に足りていない医療従事者として僻地医療に携わりたいと考えたからです。より幅広い診療ができるNPの資格を取得することで、地域医療に貢献できると考えました。


ハワイといえばワイキキビーチやダイヤモンドヘッドなどを思い浮かべますが、オアフ島以外は医療崩壊寸前で、病院のベッド数、医療従事者の万年的な不足などが続いています。それを知った上で、日系人の多いハワイ島を選び、地元の病院にて化学治療ナースとして働きながら大学院を卒業しました。


2016年には家族とともにハワイ島へ移住し、2018年8月には耳鼻咽喉科のNPとしてのキャリアをスタートさせました。耳鼻咽喉科を選んだ理由は、処置や施術を学びたかったからです。外来診療の中で手技を磨きながら、より実践的な医療を提供できるよう努めました。


ハワイ島はコロナ後の急激な人口増加で、今までよりも医療従事者にかかる負担が多くなったように感じます。


そして2024年12月、長年の夢であったFunctional Medicineを専門とする「Island Balance Clinic」をハワイ島ヒロに開院することになりました。クリニックをオープンするにあたり、州のビジネスライセンスを取ったり、消費税の手続きをしたり、薬局と提携をしたりと事業者として州の法律や規定などを学びながらNPとの両立に毎日苦戦していますがとても充実しています。


自分のクリニックを開いた理由は、現在の医療は、疾患に対して薬を処方し様子を見るだけでは、必ずしも個々の疾患の根本的な改善につながらないと感じたからです。現代医学では人体を細分化し、それぞれの臓器や症状にフォーカスしますが、Functional Medicine(機能性医学)は疾患の根本原因を探ることで、症状の改善や予防につなげるアプローチを取ります。これは看護学の基礎である「全人的ケア」にもつながると考えています。Conventional medicine(現代医療)では医師またはNPが患者さんと対面で過ごせる時間が少なくなってきている中、30−45分かけて一人の患者さんに集中して向き合う事ができるのが何よりの幸せです。


また、自身のクリニックを運営しながら、Optum HouseCallsに所属し、僻地の高齢者を対象としたメディケア訪問医療も行っています。


家族はジョージア州出身の夫、14歳の息子、2匹の犬、1匹の猫、5羽の鶏、そしてミツバチ。自然豊かな環境の中で、ハイキングやランニング、SUP(スタンドアップパドル)を楽しみながら、地域に根ざした医療の提供を継続していくことを目指しています。

1 Comment


実絵さん、開業おめでとうございます!functional Medicine 素晴らしいです!!!!しかし現在の医療体制とアラインしないので、診療報酬の点で、保険で一部カバーされるのか患者負担100%なのか、気になるところです。いかがでしょうか?


日本人気質で昇進。笑ってしまいました。確かに勤労勤勉、再現能力に長けている国民性。しかし多くの日本人看護師が世界中で活躍している中、全員がマネージメントになっているわけではないので、実絵さんの功績だと思いますよ〜

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