人が人としてより良く生きるために ~その人の在り様を支え、「生きる」形成過程にかかわるサイエンス~
- 市原 真穂
- 9月15日
- 読了時間: 5分
千葉県立保健医療大学小児看護学
小児看護専門看護師 市原真穂
私は小児看護を専門にしています。それは、人が人としてより良く生きるその瞬間、瞬間に立ち会い、すべての瞬間をより良くし、その人の「生」の形成に何かしら関与したいと思っていたからです。その思いに必然的に導かれたのが「小児看護」でした。

こどもの発達は「親や支援者が何かを与える」ことで進むものではありません。本人の力、家族やいつも近くにいる人々との関わり、社会や環境の条件 ーーそれらが互いに影響し合うことで、発達という人間本来の適応と応用が、らせん状に連なりながら未来を形作っていきます。発達とは一方向的に積み重なるものではなく、常に相互作用の中で生成される現象です。その人が生をまっとうするまで生涯続いていくものです。
学部学生とともに発達を学ぶとき、私はよく「発達は相互に作り上げていくもの」と伝えます。例えば、言葉をまだ発しない乳児が笑顔を見せたとき、母親が笑顔を返し、看護者がその瞬間を言語化して共有する。こうしたやり取りが重なることで、こどもは自らの存在を確かめ、人とのつながりを深めていきます。このプロセスは一方的な「ケアの提供」ではなく、こどもと大人との間で織りなされる複雑な関係性の産物です。
ここで大切にしたいのは、発達を支える方向性や方法は、こどもであっても大人であっても変わらないということです。相手がこどもだから「単純に優しくすればよい」というものではなく、大人だから「理性的に説明すればよい」というものでもありません。こどもであっても、大人であっても、自分の存在が尊重され、まなざしの中で「大切にされている」と感じられるかどうか。その感覚が、発達と生きる力につながっていきます。つまり、相互の営みによって生み出されるものこそが、年齢や状況を超えて人の尊厳を支える看護の根幹なのです。
この「看護の根幹」は、保健師助産師看護師法に示されている『療養上の世話』と『診療の補助』という法律上の定義にも通じています。 しかし、それを単なる作業や行為として表層的に理解してしまえば、本質を見失うことになります。「療養上の世話」とは、身体・心・生活を整えることであり、「診療の補助」とは、診療を受ける人にとってその効果が最大限となるように、要となって機能することです。これらを通した人の統合性と尊厳を支える実践が看護なのです。
ケア対象者の傍らで思いを受け止め、何らかの行為をしたとしても、それだけでは、看護の本質的な活動の入り口に立ったにすぎません。 看護の本質は、相互作用の過程において対象者が本来有する適応力やレジリエンス、自己発達力が育まれていく営みに関わることにあります。 そしてそれを実現するには、理論に基づいた実践を科学として探究していくことが不可欠です。 看護は、人が人としてより良く生きるために、その在り様を支え、生を形成していく過程にかかわるサイエンスなのです。
こどもの発達を観察すると、この役割は一層鮮明になります。できることが増えるだけが発達ではなく、体調や環境によって一時的にできなくなることもあります。しかし、できる・できないにかかわらず、こどもが「自分は人として大切にされている」と感じられる関係の中で成長していくことが重要です。看護者は、その複雑な営みを支え、尊厳を最大化する役割を担っています。
こうした複雑性に満ちた現象に応えるには、高度な実践力が求められます。ジェネラリストは幅広い健康課題に対応できますが、発達や生活、社会制度が交錯する状況においては限界があります。例えば、医療的ケア児や重い障害のある子どもは、ときに自らの思いや希望を言葉にできず、家族もまた社会の中で声を届けにくい立場に置かれることがあります。こうした「脆弱でパワーレスな状況」にある人々の声を、もっとも効果的な方法で代弁し、体・心・生活を整えながら社会とつなぐ。その役割を担い、人としての尊厳を守る実践を可能にするのが、高度実践看護師(APN)です。

APNは、一方向的に「支援を提供する」存在ではなく、対象者との相互の営みを理解し、その複雑性を統合する専門職です。ジェネラリストと協働しながら、より複雑な課題に対応する橋渡しの役割を果たします。そこにAPNの真価があります。
だからこそ、学部教育からの質の高い教育が必要です。学生がさまざまな健康レベルのこどもとかかわり、その発達の様相を間近で体験することを通して「看護は複雑な相互作用を支えるサイエンス」であることを学び、人としての統合性や尊厳性を最大化する営みに触れていきます。これが、将来の高度実践者を育てる土壌となります。
そしてもう一つ、私自身が大切にしているのは、自然とのかかわりです。山を歩き、風の音に耳を澄まし、季節の移ろいを肌で感じるとき、私の感覚は研ぎ澄まされます。自然は、複雑でありながら調和を生み出す営みの連続体です。その中に身を置くことで、人と人との相互作用をどう捉え、どう支えるかという看護の感覚も深まっていきます。自然との触れ合いは、教育や実践と同じく、看護者としての感性を育てる大切な糧なのです。

看護は、人が人としてより良く生きるために、その人としての在り様を支え、自らが生を形成していく過程にかかわるサイエンス――この視点を胸に、これからも教育と実践現場を飛び回りながら、次世代とともに歩んでいきたいと思います。






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